お盆の帰省と同窓会

初日

朝8時過ぎ家を出て、新大阪駅から18切符で帰省。
途中姫路~相生と乗り換える。相生から三原行きに乗ったのに、
岡山で下車する乗客につられて一緒に降りてしまった。
けど、後発の電車は岡山始発だったので座ることができてよかった。

3時過ぎ実家に帰着。
家の掃除をしたあと一風呂浴びる。軽く夕食を済ませてから
兄の送迎で、先月亡くなった叔母の四十九日法要に出掛ける。

叔父の家は分家で仏間がなかったので、茶室に中陰壇が設置されていた。
遺影の叔母は美しくて、とても楽しそうに笑っているものだから
またすぐに会えるんじゃないかと錯覚してしまう。

喪主をつとめた2つちがいの従兄に、「横が空いている」と言われて隣に座る。
こどものときはよく遊んでいた。ひさしぶりに二人で話した気がする。
叔母が亡くなるまでの過程や自分のこと、私のことなどについて。

死者があの世へ旅立つ期間といわれる中陰。
遺した家族のことを叔母は見ているのだろうか。


夜10時半過ぎ帰宅。



2010-夏



二日目

翌朝、兄一家がお墓参りにやってくる。
姪の手がとても大きくて長いので話題に。
身長が170㎝以上あり、まだまだ伸び盛りだという。
17才の手は、すべすべでふんわりしていた。

友人と待ち合わせていることを話すと、兄家族が駅前まで送ってくれた。
あわてて仕度をしたので携帯を忘れて出てしまった。
携帯がないと会えるかしらと不安になる。
無事に会えた友人が、「忘れた物はとりに帰ろう」とまわってくれた。感謝!

夕方別れて、小学校の同窓会に出席。昨年より二度目。
5.6年のときの担任A先生が来られていた。87歳になられて耳も遠くなっていた。
大きな手術をされたそうだが、趣味も広くお元気そうだった。
何十年もの歳月の間に、背中が丸くなってひとまわりちいさく見えた。
お話をたくさんされて皆のために3曲歌ってくださった。

宴の途中、4年のときの担任S先生が予定を都合して駆けつけてくださった。
先生は私たちのクラスを「みやすいクラスだった」と言われた。
(みやすい=備後の言葉で、やさしい・易いの意味。この場合は、やり易いをさす。)

短大を卒業したばかりの若い女の先生に男子がイタズラしたり、
女子が授業をボイコットして図書室に立てこもった話をすると、
「そんなことあったっけ?」と笑っておられた。

宴もたけなわ。故郷のお刺身や魚料理は美味しいなあ。
先生たちは車を運転して来られたので、お酒はのんでいなかった。
高齢のA先生は、来年の免許更新を機に運転をやめるそうだ。

二人の先生とお別れしてタクシーで二次会へ移動。
よく歌い楽しいお酒だった。カラオケの雰囲気は苦手だったけど
こうして気がねなく歌うのは楽しいね。
1時半頃お開き、ほとんどが次のお店に。朝までがあたりまえのようだ。
私は大阪に帰るのでおとなしく帰りました。ってか、皆元気やね~~


今年はふたりの担任の先生とお会いできた。
同窓会って夢のなかの時間みたいだね。



2010-同窓会



三日目

朝、omaちゃんからメールがはいる。
昨日朝メールもらって、またメールすると言ったきり忘れてた!
昼過ぎの新幹線に乗るとメールすると、
「その時間は都合悪いからまた今度帰ったときにね。」と返信あり。
高校時代からの友人で、気がおけない間柄はずっと変わらず。

11時過ぎ、先日とは別の従兄がお盆のおまいりに。孫も合わせて6人。
うちは本家で、帰省時期は特に親戚が訪れるので予定通りに運びにくい。

今日は午後から大阪に帰る日。
従兄が帰るとき、駅まで送ってあげるよと言ってくれたので
またまたあわてて仕度をして出た。途中母から携帯に電話があり、ほとんどの服を置いてきたようだ。
昨日携帯を忘れた件と言い、83歳の母に「あんた大丈夫なん?」と心配された。

駅に着いて時刻を見ると、新幹線の時間が10分後。
ターッといくつかお土産を買って乗り込む。
帰省ラッシュ時の割にはさほど混んでいなくて、岡山で座れて帰ってきました。


主に同窓会の話題にしようと思っていたのに、
とりとめもなく忘れ物が多い内容になってしまいました。
(同窓会の時間も30分間違えていた・・)



おしまい




また逢う日には



お盆に、小学校卒業以来はじめての同窓会がありました。
子供が3才だったり孫が3才だったりと、それぞれの暮らし向きがおもしろい。

クラスは十数人の1クラスだけで欠席者は3人。
だから、二次会のお店も突然行っても大丈夫。こじんまりと貸し切り状態です。
人数が少ないので、全員の顔が見えて話せるのがいい感じ。

0時まわって解散。taxiに乗り込もうとするyちゃんをはがいじめにするsーくん。
まるで小学生がじゃれてるみたい。幼稚園からいっしょだった同級生ならではかな。
このあと男子は連れ立って闇の街に消えて行きました。


途中、タイムカプセルの話題で盛り上がるものの、
私も含めてほとんどの人が覚えておらずで、
記念樹の近くに埋めたのでは?など推測の域をでないままです。




なんと、この記事を書いている最中に幹事のYくんからメールがあり、
当時の担任の先生と連絡がとれて、ご高齢のため耳も遠く奥様を介しての
やりとりだったそうですが、先生は場所を明確に覚えておられたそうです。

どうやら、次回はスコップ持参で校庭に集合となりそう。



後日、Tくんが出席者の携帯画をアレンジしてパソコンに送ってくれた。
ぷぷっ 真ん中の小学卒業写真と現在の写真の対比が笑える。



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過ぎた時間



昨夜携帯に電話があり、登録のない番号なのに出てしまった。
遠慮がちに話すその声の主は、なんと小学校の同級生だったY君で、
卒業以来はじめての同窓会をするという内容。
今まで一度も行われなかったのも不思議な話だけど、
皆で一致団結することも少なく、あまり群れることのないクラスでした。

それでも、幼稚園から小学卒業までの8年間を一緒に過ごしてきた仲間。
たくさんの思い出があります。なにせ1クラスしかなかったので学年単位です。

ここからは、6年生になって関西に修学旅行に行ったときのことです。

前述のように1クラスの少人数なので、引率は担任、校長、保健の先生だけ。貸し切りバスはなく、当時の国鉄在来線で東へと向かう。
まず神戸で下車して神戸ポートタワーを見学。その後は京都へ直行の予定でしたが、誰かが新幹線を見学しようと提案したので急きょ新大阪駅で途中下車する。入場券でホームに入り、このとき初めて世界最速の巨大な乗り物を目の当たりにしたのです。

京都では金閣寺や二条城、清水寺などを見学して四条烏丸の旅館に戻る。部屋は20畳以上の大広間で、右と左の端っこに男女分かれて布団が敷いてある。昔の時代で子供とは言え、さすがに「いいのか、これで。」と生徒全員が感じたと思うけれど、「いいのだ、自分たちはまだ子供なのだから。」とそれぞれが納得していたに違いない。
就寝前には、担任の計らいで「5分間の枕投げ」があって、先生の掛け声とともに、電気を消した真っ暗な部屋で一斉に男子と枕がまじで飛んできた。それでも、先生の「はい、やめ!」の合図とともに全員が寝床に就く。皆興奮さめやらぬだったと思うけれど、子供の頃からやたらと寝つきがよかった私は、即座に眠りこけたのでした。

翌日の奈良でも市バスを乗り継いでの移動で、地元の小学生のような気分。バスの床面は板張りで、ご近所さんと思える人たちと一緒に乗っていることが不思議な感覚でした。
東大寺の大仏殿にある穴のあいた大きな柱は、T君が代表でくぐる。諸説あると思いますが、私たちがそのとき聞いたのは「柱をくぐると頭がよくなる」です。
奈良公園で鹿におせんべいをあげたりしていると、雨がしとしと降ってきたのでタクシー数台に分かれて次の目的地へと。今日降るような雨の季節だったのか、窓の外に眼をやると古都の町並みに新緑が映えて美しい情景でした。

そのときの思い出の写真はモノクローム。全員が半透明の雨合羽を着ています。



昭和40年代なかば、当時でもちょっと珍しい修学旅行の思い出です。

その後、中学校はマンモス校だったので同級生は各クラスに分散されて
小学卒業以降は、ほとんど話すことも見かけることもなくなっていました。



今回の同窓会は、半世紀を迎える年にひとつの区切りのようなもの。
あれから、そんなに時間が経ってしまったのかと成長のない自分を感じつつ、
今年も1年の半分が過ぎて、今日から早やくも7月です。


瀬戸内の風に吹かれて、毎日放課後の校庭で遊んでいた日々。
お盆には、時間をさかのぼるようにあのころの皆に会いに帰ろう。

・・おじさん、おばさんになった今いきなり会うのは、ある意味でコワイけれど。